7月3日「いじめについて考える日」!

本日、朝から全校生徒が体育館に集まり、「全員」「いじめ」について「考え合い」ました。

集会は、オンラインで教室で参加するという動きが岐北中ではスタンダードになりつつありますが、今日だけは、絶対に「全員」が一堂に集まって「考え」「話し合い」を行う必要があると生徒会執行部が考えました。4年前の今日の出来事を受けて、「岐北中のみんなが安心して生活できるようにするという願い」のもと、「いじめについて考える日」が始まりました。

最初に、生徒会執行部から次のような話がありました。2回の動画視聴で、「いじり」「いじめ」の違いがおおよそ半数ずつだったこと。しかし、「数字」からだけでは判断できないこと、そして、相手の表情からだけしか嫌がっているのかどうかの判断はできないが、心の中の「思い」には、自分と相手には「すれ違い」があるのではないか。と、全校生徒に問いかけ、「いじめをなくしていくためにどうすればよいのか!」という話し合いが始まりました。

岐北中の凄いところですが、このような「問いかけ」には途切れることなく自分の意見を発表していきます。やはり、3年生が多いですが、1,2年生も堂々と自分の意見を言えるところも凄いです。意見では、「相手を理解していないから、すれ違いが起こる。日々の会話を増やしていく。」「いきすぎたいじりは絶対にダメで、自分から止めるようにする。」「いつも違う様子だったら「どうしたの?」と声をかけたい。」など、前向きな意見がほとんどでした。

中には、『「いじり」と「いじめ」をトランプタワーに例え、少しでもバランスが崩れると倒れてしまうこと、両方の気持ちを尊重することが大切であること。人の心は真っ白い紙のようで、それをクシャクシャにされたら、決してもとには戻らない。』という話に多くの子が共感していました。生徒会長は、「見て見ぬふりをする自分ではなく、勇気をだして声を出して伝えていく自分でありたい。」宣言がありました。最後に校長先生から、「いじり」と「いじめ」の境界線は難しい。しかし、「いじり」であることを決めるのは誰でしょう?「いじめ」と決めるのは誰でしょう?と問いかけられました。「いじめかどうかを決めるのは、いじめている人ではない。境界線ははっきりしないと言うけれど、いじったりいじめたりする側が、さまざまな理由付けをして決めるものではない。今日のこの話し合いをスタートとして、自分のことを見つめ続けてほしい。」と話しました。また、意見を言った人だけが凄いのではなく、真剣に仲間の話を聞く姿勢も含めて、素晴らしい話し合いになったと話しました。これからも、岐北中では、「命」の大切さ、「いじめ」について考え続けていきます。今日の話し合いは、時間いっぱい話しあったので、ロイロノートに感想を書く時間もありませんでした。また、紹介したいと思います。

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