6/19 土曜活動にて「岩野田を知ろう」を行いました。
岩野田中出身の岐阜大学教授 山田敏弘先生をお迎えして、私たちの岩野田中学校の歴史と岩野田校区についてたくさんの事を教えて頂きました。
一部を紹介します。
「鐘に込められた思い」 神谷清さんのお話から
午後の授業の始まりを告げる鐘
昭和年代の初期の頃までは、小学校の授業の始まりと終わりを、学校の小使さんがリンを振って知らせていました。昼休みの終わりだけは、皆が運動場で遊んでいたり、自宅へ昼飯を食べに帰る生徒もいましたので、リンの音では良く判らないため、職員室の運動場側の窓の外に直径五〇センチぐらいの鐘を吊り下げて、午後の授業が始まる五分前に先生が打ち鳴らしてみえました。
鐘の音は大きく一キロメートル先位まで行き渡りました。昼食を食ベに自宅へ帰る生徒は学校から一キロメートル位の距離まででしたので、食事をして学校へ帰る途中で鐘の音を聞くと、後五分で授業が始まるんだと急いで登校したのです。校庭で遊んでいる生徒も鐘の音を合図に教室へ戻りました。
この大切な鐘も戦時中に供出されその姿を消しました。
昭和二三年、新制中学校の新校舎が出来たとき、戦後の物資不足の時代で新しく「リン」を買うことが出来なかったので、小学校で使っていた古い「リン」を中学校へ譲りました。
新しい学校に使い古した「リン」では可哀想だと、小学校で鐘の音を聞いて勉強してきた古い卒業生の村民が、新しい鐘を探して購入し、中学校に寄付されました。
何年も経たないうちに「チャイム」が設置され、その善意の鐘がいらなくなりました。鐘の経緯を知っていた先生が不要になったといって捨てるに忍びなく、これを校長室で保管することにされました。
現在も中学校の校長室にその鐘が誰も知らない「不思議な鐘」として置き台の上に静かに鎮座しています。
~岩野田の歴史を語る会編(2000)『アルバム2000年の岩野田』より~
知らなかった岩野田中学校の歴史や、地名にまつわる話など興味深い話をたくさん聞くことができました。
私たちの「岩野田」のことが、さらに好きになりました。