12月19日、1年生は、国語「狂俳を作ろう」の学習を行いました。
講師 ・東海樗流会のみなさん
題 ・きらきら ・お正月
「狂俳」とは?
狂俳は、和歌、連歌、俳諧と続く日本固有の短詩文芸から派生したひとつで、
「題」+「十二音(五+七あるいは七+五)」で構成される最短詩形で、当初は「冠句」等と呼ばれた。
江戸中期の俳諧人、志摩国生まれの三浦樗良(ちょら)に始まるといわれ、当初は「冠句」と呼ばれた。
樗良は、安永2年(1773)に岐阜に滞在したという伝承があり、
美江寺の俳諧人、初代細味庵蘇坡に冠句の指導をしたという。
その後、初代は二世細味庵、弟子八仙斎一世ともに俳諧の形態に準じ作法、様式を整え、
これを岐阜調として狂俳の普及に努めその名称も浸透した。
狂俳の活動は、細味庵と八仙斎の二宗家によって道統が守られている。
狂俳は、東海地方を中心に展開され、江戸後期、明治後期~大正期、第二次世界大戦後に特に隆盛した。
東海樗流会は岐阜県を中心に最盛期には2,000名の会員を数え、
現在は、約50結社、約400名でその伝統を守り続けている。
*東海樗流会ウェブサイト