保護なしブログ(記事のみ)

1月第4週の教育活動

1月25日(金)の朝活動「読書タイム」に、今年度の最終回となる13回目のコミュニティ・スクール「学び部」主催の「読み聞かせ」のが行われました。今回は、1,2,3年生の各教室で地域や保護者のボランティアによる「読み聞かせ」を聴かせていただきました。1年生にとって、下校時に外でお世話になる「にっこり見守り隊」の方々と同様に、コミュニティ・スクールの恩恵を受ける学校(校舎)の中での活動が「読み聞かせ」ボランティアの皆さんとのふれあいだと思います。お友達や2~6年生のお母さん、地域の皆さんが、学校の中で「読み聞かせ」をしてくれることが、当たり前のことと思い始めているように感じます。自分たちの成長を支えたり、見守ったりしてくださる方々への「感謝」も、忘れないようにして欲しいと思います。2,3年生の教室の様子を見ても、距離感や反応、集中等の度合いが増し、この取組でも子供たちの成長を感じ取ることができました。

この日の3時間目、6年生がワークスペースに集まり、総合的な学習の時間「ふるさと学習」最後の単元のオリエンテーションを受けていました。2月27日(火)に計画している授業参観(学習発表会)に向け、「ふるさと大好き」「岐阜まちの魅力」「6年間の体験・経験」「今後の決意」等を盛り込んだ1分間スピーチを考えていくことを知りました。この取組は、国語科と総合的な学習の横断的学習となります。

昼休みに、第34回「MOA美術館児童作品展(書写の部)」と令和5年度「明るい選挙啓発書道作品募集」で入賞した5年生児童の表彰式を校長室で行い、記念写真を撮りました。

また、5時間目に4年生が、1階メディアセンターで総合的な学習「ふるさと学習」の一環で、長良川の川漁師で「結の舟」代表の平工顕太朗さんの講話を聞きました。長良川に深く関わってみえる平工さんから「長良川の魚」について教えていただき、進級後(次年度)の総合的な学習「清流・長良川」への関心・意欲を高めました。

さらに、6時間目、5年生も、1階メディアセンターで総合的な学習「清流・長良川」の一環で、長良川の川漁師で「結の舟」代表の平工顕太朗さんの講話を聞かせていただきました。長良川に深く関わってみえる平工さんから、改めて「長良川の魅力」を教えていただくことができました。子供たちは、鮎が回遊魚であること、それでも「長良川の鮎」の誕生や生活は岐阜市が基本であることを学びました。

 

1月25日(木)の朝も、前日から降った雪が運動場に残り、校門付近は凍結して滑りやすい状態でした。前日(1/24)の「スマート連絡帳」でお伝えしたように、歩道橋も危険な状況のために通行禁止とし、一部通常とは違う通学路に変更しました。横断歩道の凍結も心配なため、早く出勤してきた職員を中心に学校周辺の雪かきや交通指導をしながら、児童の登校を見守りました。登校してきた子供たちは、すぐにランドセルを置いて運動場での雪遊びを始めました。限られた時間だったため、雪合戦的な遊びや雪玉づくりを楽しんでいました。

この日、今週から各学級を回り出した「大谷翔平選手から寄贈されたグローブ」が、2年1組に回ってきました。月~火(1/22~23)の1年生の教室の様子は、タイミングを逸してあまり見ることができなかったのですが、この日の2年1組の様子はじっくりと参観できました。最初にスポーツ少年団野球部に所属する女児が、みんなの前でグローブのはめ方を披露し、その後3つのグループに分かれて、順番に触ったり、はめたり、写真を撮ったりしていきました。どの子も、ワクワクしながら眺め、自分の順番になると自然に笑みがこぼれていました。

前日から降った雪が運動場に残っていたので、すくすく(めぶき学級、わかば学級、ひまわり学級)のみんなは、朝の会の時間に運動場に出て「雪遊び」をしました。先生をめがけて雪を投げる子がたくさんいました。

1時間目には、1年生は屋上に上がって「雪遊び」を楽しみました。運動場は雪が融け始めてコンディションが徐々に悪くなっていたため、低学年優先の屋上に上がっての「雪遊び」となりました。仲間と一緒に雪合戦をしたり、雪だるまを作ったりして、大満足の時間となりました。

同じく1時間目、4年生が体育館で来週(1/30)行う「二分の一成人式」(第2部)の練習を行いました。実際の動きを確かめたり、声の大きさを相互評価したりしながら、緊張感を持って練習に取り組んでいました。11/28に「二分の一成人式」第1部として若井敦子さんの講話を聞いたので、今回の「十歳の決意」を発表する会が第2部となります。本番では、漢字一文字に込めた自分の願いを、感じ取っていただきたいと思います。

2時間目には、2年生も屋上に上がって「雪遊び」を楽しみました。運動場は雪が融け始めてコンディションが徐々に悪くなっていたため、低学年優先の屋上に上がって、1年生が使っていない東側での「雪遊び」となりました。1年生が雪合戦が多かったのに対し、2年生は雪だるま作りが主流でしたが、みんなで楽しむ時間となりました。

 

1月24日(水)は臨時休業日(休校)による自宅待機となったため、オンライン(リモート)による2時間授業となりました。1年生にとっては初めてのオンライン(リモート)授業となり、少しワクワクドキドキしながら、国語と算数の授業を楽しんでいました。私(校長)も少し顔を出したのですが、画面越しに挨拶をしてくれました。2年生以上は、オンライン(リモート)授業にも慣れてきて、画面越しに双方向のやりとりが繰り広げられ、学習として十分成立していました。

この日は、青森からの研修視察2日目だったのですが、1時間目のオンライン授業の様子を見ていただくことにしました。5年1組の教室で行っていた5年生の国語科「方言と共通語」のオンライン授業では、担任の湯浅先生から「ちょうど良いところに青森からお見えになっている先生が来てくださいました」と参観に行かれた青森の教頭先生が紹介され、急遽ゲストティーチャーとしてオンラインで出演していただくサプライズもありました。

また、この日の午前中は、青森市立沖館小学校の教頭先生と3年生担任の先生のお二人の研修視察2日目でした。大雪警報による臨時休業日(休校)となったため、沖館小の校長先生にも連絡を取って対応を検討していただいたところ「先生方からのお話を聞くだけでも勉強になるので・・・」ということで、宿泊先の駅前から1時間遅れのバスで9時過ぎに来校されました。少しオンライン授業を参観された後、空き時間となった5,6年生の先生との面談をされ「家庭学習への転換」についての担任としての思いや考えを聞いてみえました。続いて「『やる気ペン』についての来年度の提案をもって訪問したい」ということで、この日に計画したコクヨ(株)の担当の方の話を、一緒に聞いてもらいました。実は、青森市立沖館小学校が来年度の実証実験校となることを聞いて、岐阜小学校で顔合わせをしていただく機会にしたためでした。2日間の研修を終え「大変中身の濃い充実した研修ができました」と、満足そうに帰って行かれました。

 

1月23日(火)の朝活動の時間は、全校一斉学級ごとの「家庭学習」交流でした。1年生にとっては、ほぼ初めての交流となりましたが、1組はロイロノートに提出した「家庭学習」を一人一人が紹介していきました。2組は、3~4人の小集団ごとで自分のノート等を見せ合ってお互いの頑張りから刺激をもらっていました。1年2組と同じように、自分のやってきた「家庭学習」を持ち寄って交流してきた学級は、他にすくすく、2年2組、3年1組、4年2組でした。1年1組と同じように、自分のやってきた「家庭学習」をロイロノートに提出して交流してきた学級は、他に2年1組、3年2組、4年1組、5年1組、5年2組、6年1組、6年2組でした。

の午前中に、青森県青森市の学校からお二人の先生、大阪府茨木市から8人の教頭先生が、岐阜小学校に研修視察にみえました。青森の先生は、1/9HPで紹介した沖館小学校の教頭先生と3年生担任の先生で、2日間の研修で初日のこの日は、朝の「家庭学習交流」を見て校長との面談をし、その後は大阪の先生方との合同研修となりました。大阪市茨木市教頭会の先生方は、岐阜県と愛知県を巡る2日間の研修で、最初の訪問先が本校でした。9時45分頃に来られ、校長の「家庭学習」プレゼン(インフォーメーション「岐阜小学校の家庭学習」の中にpdf.ファイルが入っています)を見た後に、質疑応答と意見交流、3時間目の授業参観という内容でした。授業参観は限られた時間となりましたが、大変満足して帰られました。青森の先生方は4時間目も参観し、明日も引き続き午前中の研修をされます。

 

1月22日(月)の朝活動~朝の会の時間帯、5年生は学年朝の会と卒業式に向けた学年合唱練習を始めました。また、先週お知らせした「大谷翔平選手から寄贈されたグローブ」を、この日は1年1組で見たり触ったりするので、朝の会の時間にその紹介がありました。

この日の1時間目、1年生は1,2組とも国語科「たぬきの糸車」の授業を行っていました。この単元「たぬきの糸車」は、2月に入ったら岐阜市歴史博物館に、体験学習に出かける計画もしています。学校の授業で、しっかり読み取っておいて欲しいと思います。

1月22日(月)の給食は「昔の給食」として、ご飯、鮭の塩焼き、野沢菜漬け、すいとんの味噌汁、野菜の煮付け、牛乳でした。これは学校給食が始まった頃の給食を参考にした献立ですが、お昼の放送では給食委員から実際の献立が紹介されました。我が国における学校給食は、明治22年に山形県鶴岡町の忠愛小学校で始まって以来、各地に広がっていきましたが、戦争の影響などによって中断されました。戦後、食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に学校給食の再開を求める国民の声が高まるようになり、昭和21年6月に米国のLARA(Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救済公認団体)から給食用物資の寄贈を受けて、昭和22年1月から学校給食が再開(「学校給食実施の普及奨励について」昭和21年12月11日文部・厚生・農林三省次官通達)されました。岐阜市では昭和26年から市内小学校の給食が開始されましたが、その第一号が京町小学校(岐阜小学校の前身)だったようです。学校給食による教育効果を促進する観点から、1/22~26までの1週間を「学校給食週間」としました。子供たちの食生活を取り巻く環境が大きく変化し、偏った栄養摂取、肥満傾向など、健康状態について懸念される点が多く見られる今日、学校給食は子供たちが食に関する正しい知識と望ましい食習慣を身に付けるために重要な役割を果たしています。学校給食週間においては、このような学校給食の意義や役割について、児童生徒や教職員、保護者や地域住民の理解を深め関心を高めるため、全国で様々な行事が行われます。岐阜小学校では、木曜日(25日)に岐阜小学校を卒業した先輩(岐阜中央中学校の生徒)の考えた献立がでるのも、今からとても楽しみです。

昼休みには、6年生対1年生のドッジボール対決が行われました。これは、6年生の「卒業プロジェクト」の一環で、6年生から在校生(後輩達)に「倒せるものなら倒してみろ!」という挑戦状が渡され、今週は「ドッジボール」対決、来週は長縄「8の字跳び」対決が行われることになったのでした。初日のこの日は、1年生とのドッジボールでほぼ全員が参加していました。