9月2日(金)「いじめを見逃さない日」には、HEROS代表生徒が夏休み期間中に行った8月の「いじめを見逃さない日」の取組みの発表と、全校TV放送を視聴して、互いの居場所と幸せを大切にする仲間との適切なかかわり方について考えました。
◎8月「いじめを見逃さない日」ハートフルサードプロジェクトを通して
私は、夏休み、出会った人に自分から挨拶をして、気持ちよく過ごせるようにしたいと思いました。挨拶がきっかけとなり、地域の方々との交流が増え、温かく生活できるのではないかと考えたからです。また、家族の一員として家事のお手伝いをしました。これらは、普段から心掛けて行えることだと思います。今後も、家族や周囲の人への思いやりの心を大切にしていきたいと思いました。 |
【「みんなで跳んだ」(あらすじ)】
軽度の知的障がい・勉強や運動が苦手・自分の意見を言わない少年、安部諭(あべさとし)さん。 9月運動会クラス対抗大縄跳び競走(6分間)。どうしても跳ぶことができない。一緒に跳ぶことが平等なのか。外すのが思いやりなのか。諭さんは応援係になる。練習ではどんどん記録が伸び1位に。しかし運動会前日。「大縄跳びで安部ちゃんを外して跳ぶのは…やっぱりイヤです。」放課後話し合いが始まる。「なんで今頃言うんだよ。」…採決…【一緒に跳ぶ12人】・【応援役になってもらう13人】1時間が経った。…「俺たちが決めるんじゃなくて安部ちゃんが決めることだよ。」一人の少年が立ち上がって言った。「…跳びたい。」安部ちゃんが言った。初めて自分の思いを絞り出して言った言葉。運動会当日。昼休み、最後の練習。やっぱり…一度も跳べない。そして本番。安部ちゃんの跳ぶ姿が…。 |
◎授業を振り返って
多くのクラスメイトは、大縄を上手く跳ぶことができない安部さんを、応援係にすることが思いやりだと考えていました。クラスメイトは、安部さんの思いを十分に聞こうとしないで、自分たちが考える思いやりを安部さんに押し付けてしまっていることに気が付けたのだと思います。相手の気持ちを知ることなく、勝手な思い込みで行動することはいけないし、相手への気持ちを尊重することは、相手の存在を尊重することにつながると思います。 |
◎授業を振り返って
大縄の跳び手から外すことも思いやりとしてあることを仲間の意見から知ることができました。(上手く跳べず、悲しい思いをしている、辛い思いをしているのではないか)本人が跳びたいと言ったのなら、それを否定する権利は私たちにはないと思います。思いやりで外すのと勝ちたいから外すのでは、だいぶ違うことだと思います。 |
自分の思いを上手く伝えられない仲間がいたとき、相手の思いを想像して行動することは大切な思いやりの心だと思います。しかし、それが相手の思いや気持ちだとは限らないところに難しさがあります。正解かもしれないし、違うかもしれない。決めつけた見方や考え方で仲間に接っしていないか、考えていきたいと思いました。