~「転がすこと」の面白さから「転がっていくこと」の面白さに気付く~
昨年の年長さんが残してくれた、コロコロドミノが大好きで何度もボールを転がしています。
コロコロドミノを子どもたちで作るのはまだまだ難しいですが、簡単に子どもたちで繋げて遊べるものはないかと考え、長い芯を切ったものを用意しました。すると、子どもたちは、コロコロドミノの先に繋げて、道を長くしました。高さが同じなので、転がってはいきませんが、“転がす”ことを楽しんでいました。
“転がす”ことを楽しんでいた姿から、あえて高低差のない同じ高さの道を4つ準備しました。長くつなげることが楽しいようで、長く繋げて“転がす”ことを繰り返し楽しむ姿がありました。“転がす”よりも、“転がる”方がたのしいんじゃない?といつか気づいてほしいなと、願いながら環境を用意しました。
1週間が経つと、ある子が面白いことに気が付きました。“高さをつければ、きっと転がっていくだろう。”と考えたのです。空き箱を下に置き、高さをだしました。すると、転がさなくても、転がっていくことに気付き、「おおおおおお!」「転がった!!!」感動していました。世紀の大発見だったようです。
そしてその、3日後には、上にも道を繋げると面白くなることに気づきました。あまりの高さに、ボールが早すぎて真っ直ぐ滑って、コースアウトしてしまいます。そこでも、いいことをひらめきました。“あ、手で壁を作ればいい。”と考えました。「先生はここで、壁作っといて。」と壁係に任命されました。手の壁があることで、コースアウトせず進んでいきます。より高さが付いたことで、転がさなくても、最後までたどり着くことができ、目をキラキラさせながら、ボールを追いかけていきました。
大人は、高低差があれば転がっていくことに自然と気づきますが、子どもたちは、遊びの中や生活の中で感じていきます。
面白くしたい、楽しませてあげたいと思うと、教師が作りすぎてしまったり、ヒントを与えすぎたりしてしまいます。その気持ちをぐっと抑えて、“子どもたちが気づくためにはどうしたらいいかな。“と焦らずじっくり関わるようにしています。“あ!こうした面白いな!”という気づけたことが、嬉しいと感じられるように、「どうしたら、いいんだろうね。」と一緒に考えながら、遊んでいきたいと思います。