3年生 コミュニティースクール SDGs 「いじめ」をなくす取組

不動閣探検

 3年生は、この日、校区にある「不動院 不動閣」へ校外学習に出かけました。お寺の住職さん(髙木誠海様)から不動閣の歴史についていろいろ教えていただきました。住職さんのお話を聞いた後、子供たちは外に出て、池や滝を見せていただいたり、階段を上ってお参りをさせていただいたりしました。滝の水は、チャート質の西山に降った雨だそうです。「不動明王は知恵と慈悲の仏像で、右手に諸刃の剣、左手に縄を持っているよ」「知恵を使って剣を使わないと自分を傷つけてしまう、悪者を捕まえて縛るために縄を持っているよ」と教えていただきました。とても暑い中での校外学習でしたが、水分補給や日傘の携帯等、熱中症対策を施して行ってきました。不動閣の中は、自然の風が吹き、近くに滝や池があり、とても涼しく学習をさせていただきました。扇風機もたくさん用意していただき、本当にありがとうございました。

【不動閣】

 不動閣は、奈良東大寺の大仏のデザインを考えたと言われる「日野金麻呂(丸)」が生まれたところと言われ、金麻呂(丸)の父である王丸が住んでいたと言われています。金麻呂(丸)は大仏開眼法要のときに、聖武天皇から授かった金の仏鉢を持ち帰り、七堂伽藍を建てたそうです。(後に夢のお告げにより陽当たりの良い雄総の護国寺に仏鉢を移したと言われている)また、戦国時代には、織田信長が岐阜城を攻略しようとしたとき、家来である木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の思いつきで、北斜面からの早朝襲攻撃を行いました。その時、陣となった不動閣は、一度、焼き払われてしまったそうです。「西山の 不動の洞をよじ登り 旗をなびかせ 城攻撃す」という歌も伝えられています。境内からは、当時の岐阜城主の鉄鍋に入った頭蓋骨が、刀二本と共に並べられた首塚が出土しています。実物の鉄鍋も見せていただきました。

【日野の地名】

 「日野」という地名は、「大日如来が祀られている野」ということから呼ばれるようになったと言われています。舟伏山北側の麓に「大日下」という地名があります。

【日野の歴史】

 日野には、今から一万年以上前(旧石器時代)から人が住んでいました。石器(石で作った道具)が日野のあちらこちらから出土しています。縄文時代の土器、大和時代の古墳、奈良時代の瓦、室町・鎌倉時代のお墓や仏具なども出土しています。