6年生の廊下に「6年間の思い出」をテーマとした作品が掲載されています。「6年間の思い出」と言っても、一人ひとりのお友だちの印象に残っているものが違うでしょうし、とらえ方も違うでしょうから、作品もバラエティに富んでいます。見事に、ばらばらにとらえていて興味深いです。この場面を取り上げたのはなぜか?この場面でどんな気持ちになったのか。その思い出をどのようにこれからの長い長い人生(生活)の中に活かしていくのか?一人ひとりに卒業までに聞いていきたいと思います。
みんなが同じものをとらえていないということはとても大切なことで、一人ひとりの思いや考えが尊重されている結果とも言えるでしょう。一人一人が尊重されているならば、そのとらえや、思いや考えの違いも当然尊重されることでしょう。しかし、あまりにもみんながバラバラでは、一緒に行動する場面や、みんなの考えなどをまとめたい場面で困るということもあるでしょう。その時にどのようにして、全体と個の調和を図っていくのか、自分と他の人との調和を図っていくのか。なかなか難しい問題です。
同じ事象や事案を見ても(触れても)、それを「よし」と思う人もあれば、それが「いやだ」と思う人もある。多くの人が同じように「よし」と思うことはないとしても、多くの人が納得するような形にするよう努めること…ここが難しいところですが、民主主義のこれからの担い手である子どもたちには、自分や他の人の権益を尊重しつつ、共に生きていくために調和を取ることについて考えてほしいと思います。
6年生では11月末に法教育で、このことについて勉強を深めたいと思っています。岐阜県弁護士会から弁護士さんを直接お招きして、直接学ぼうと考えています。この様子はまた報告しますね。
今日の給食は、ごはん、呉汁、イカのあられ揚げ、切り干し大根のごま汚し、牛乳でした。今日は、あられ揚げを取り上げます。あられ揚げは、いわゆる「お米から作ったあられ」や「あられ切りにした材料」をほかの食材にまぶした揚げ物に使ったもののようです。では、あられ切りとは何かというと「材料をあられのような小さな立方体に切ること」のようです、さいの目切り(約1㎝角)よりさらに細かく、約5mm角に切ったものを指すようです。さすがに、イカを5mm角に切ったのでは、味も風味もあったものではないでしょうから、今日は「あられをまぶしたもの」かと思いましたが、意外なことに、「あられはまぶされていません」でした。一辺の長さが2㎝ほどでしたので、さいの目×2倍切りのいかの揚げ物だったように思えます。イカの柔らかな食感や味が楽しめました。「あられ切りでなくてよかった」
あられ揚げを最初に考えた人は、どうして「お餅をさいの目よりもさらに細かく切ってまぶすこと」にしたのでしょうか。調べてみたけれどわかりません。お正月のお餅がもったいないという気持ちはわかるのですが、どうしてその発想に至ったのか?霰が落ちる様子から思いついたとも思えないし…。由来ももちろんですが、「なぜそうしたのか?」「その理由は何か」あたりを知りたいところです。