学校行事

8/5 郷土資料室に入ってみましょう2 なつやすみ16日目

昨日はひどい空模様でしたね。雷様がお怒りで、外へ出るのが少し怖いほどでした。

全国では大雨の大きな被害を受けているところがたくさんあります。私たちの住む岐阜市も水害の大きな被害を受けたことがあります。大雨時、洪水等が発生しそうな時など、警報が発表される前から十分に注意していきましょう。

さて今日も、校内の郷土資料室に入ってみましょう。郷土資料室の中には、郷土の歴史に関するものがいっぱいあるのですが、その中には「方県小に関するもの」もありました。今日は、方県小学校関連の古いものを紹介しますね。

最初に紹介したいのは、方県小の校舎や施設などに関係のあるものです。まずは瓦です。これは旧校舎に飾られていた瓦のようです。昭和60年(西暦1985年)に木造校舎が解体されて、今の校舎が新築されています。その時から保存されていたのだと思いますが、瓦のつくりから考えると、明治26年(西暦1893年)か明治36年(西暦1903年)あたりのものと思われます。すると、今からおよそ130年ほど前のものになります。

しかし、大正8年(1919年)に大王松の辺りに建てられた木造校舎の時のものかもしれません。とすると、今から100年ほど前のものになります。ただし、昭和28年(西暦1953年)に新校舎が建築されているので、今から70年ほど前のものかもしれません。当時の写真等を探して、もう少し詳しく調べて報告しますね。

次に紹介するのは、なんと「昭和13年(西暦1938年)の方県尋常高等小学校時代の将来計画」です。タイトルは重々しいのですが、内容をみると、方県小のその当時の様子やこれからの施設設備の整備計画を中心に書かれています。きっと、当時の校長先生が、これからの学校の規模を考えながら、どのように施設等を整えていくかを考えたのでしょうね。

続いて、学校はたくさんの印刷物(プリント)を配布しますが、その印刷機です。印刷機といっても「機械」ではなくて、「印刷の道具」といってよいでしょう。昔は、原稿をこうした道具にセットして一枚一枚手作業で刷ったものです。そういえば私が若い頃(今から40年ほど前)も、鉄筆(鉄のペン)で原稿を書いて、印刷しました。その後、便利なアジア原紙というものが出てきて、印刷機が普及して、今ではコピー機でじゃかじゃか印刷できます。昔の苦労が懐かしいですね。(なんと、つい最近まで使われていたワープロまでありました)

ほかには、方県小の授業で使っていたものがいくつか発見できました。例えば、今も使う算盤。木製の球を弾く感触がたまりません。ちゃんと動きました。面白いものでは、電池の模型がありました。ナショナルから寄贈された乾電池の巨大モデル模型だと思います。開くことができて、中をのぞくと乾電池の内部構造を学ぶことができます。これは、二学期のお昼の放送で紹介しようと思います。

また、方県小の歴史(変遷)を示す年表や写真などもたくさんありました。その当時の学校の全景や校舎の様子、子どもたちの生活の様子がわかる写真などがいくつかあります。校舎の解体の様子や新築の様子などの写真も多数あります。これらは、今後進められる創立150周年記念事業のおりに、貴重な資料として活躍することと思います。

さて、最後に2つの貴重な収蔵物を紹介しますね。一つは、習字で書かれていて、今、4年生から6年生が取り組んでいる遊書のようなものだと思われます。ずいぶん古いものです。ひょっとすると昔から、この取り組みはあったのかと思います。もう一つは木像です。なんの木像なのか(だれの木像なのか)、ちょっとわかりません。ひっくり返して調べる必要があるのですが、結構重いので一人では無理だと思います。調べる時間が必要なようです。また、詳細がわかったら紹介します。

2日間にわたって紹介してきた郷土資料室②ですがいかがでしたか?教室廊下の案内板には「郷土資料室②」とあるので、郷土資料室①も学校のどこかにあるのかと思いきや、見つからないので今後も捜索を続けます。学校の歴史がわかるものが、いくつも残っているのでこれらを活用して方県小の歴史を子どもたちと少しずつ学んでいきます。来年度の創立150周年記念事業に向けて、方県小の歴史への興味や関心、理解を深めていきたいと思います。